毒親に苦しめられてきたあなたへ – 「わかる」と「許す」はイコールではない

わかると許すは違う 毒親

私は幼少期から虐待を受けて育ちました。今風の言い方をすれば虐待サバイバーということになるでしょうか。
成人して親と疎遠になってからも、虐待の影響と思われるさまざまな自分自身の問題行動に苦しめられてきました。具体的には自傷行為や、男性としては珍しいと思われるかもしれませんが、過食嘔吐などです。

毒親を「わかる」ことはあなたの助けになるかもしれない

こんな私ですが、年を重ねたことと、また心理学や哲学などを勉強したことから若いころに比べれば毒親のことを「わかる」ようになったと感じています。「わかる」とは「理」(ことわり)として解釈し、知識として頭で理解するということです。

私に対して主に虐待を行っていたのは母ですが、母は時代背景に照らしても平均以下の、およそ幸福とは言えない幼少期を送った人間です。子供を虐待してしまう毒親の思考パターンは子へと世代を超えて引き継がれるといいます。したがって私の母についても、同情に値するかもしれない面もあると「わかる」ことはできます。

そうした理による理解は私の場合は自分の人生や幸福について客観的に考えるための助けになったと感じています。そうした思考は生きていく上での苦痛を和らげてくれたとも感じています。
そして「わかる」でとどめておけば、つまり頭の中の知識にとどめておけばこうした理解は毒になることもそれほどないと感じています。

だが、「許す」必要はない

ですがここで落とし穴があります。「わかる」は容易に「わかったのであれば許さなければいけない」という発想に結び付きがちなのです。あなた自身はもちろんのこと、周囲の人たちもそのような結論を促してくることもあるかもしれません。

しかし「わかる」は頭でやること、「許す」は心でやることだと私の中では位置付けています。
わかったからといって許す必要はない。「許す」ことはあなたの心が行うことであり、それはあなたの人間としての尊厳を守るうえでの最後の砦としてとても大切なものです。
くりかえしますが、「わかる」ことと「許す」ことはイコールではないのです。

毒親を許せなければずっと、一生でも許さなければいい。誰かがあなたに「そんな生き方は不幸だ、不毛だ」と言ってきても放っておけばいいのです。

頭の中の知識はときには安売りしてもかまわないが、あなたの心の中までは安売りしてはいけない。あなたの心身の健康には価値がつけられないのだから。

おわりに

それでは今日はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございます。

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